太田資正と

戦国武州大乱 

 実像と戦国史跡


中世太田領研究会

  

         

中世太田領研究会とは

中世太田領研究会とは、江戸城・河越越・岩槻城を中心とする、
かつて太田氏が裁量していた広い地域の歴史について研鑽・考察している会です。
  各所と連携し、教育・普及の活動もしております。

太田資正と

戦国武州大乱


岩付城主太田三楽斎資正(おおたさんらくさいすけまさ)は、名将太田道灌の曾孫です。

主家を裏切った兄から岩槻城を引き継ぐと、資正は吉見の松山城と北本の石戸城を拠点に強敵小田原北条に挑みました。
資正のこの一連の戦いは「武州大乱」と呼ばれたのです。

やがて、越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)が関東管領上杉氏の家督を継ぎ、関東に出兵を開始すると、資正はこの動きに呼応します。3000メートル級の山々を超えて進軍してくる関東管領勢は「越山」と呼ばれました。
そして、資正は、謙信の小田原城攻撃の先鋒となります。

ギャラリー

2021年1月、当会が編集に参加した
「玉隠ー岩付城築城者の謎」
が発刊されました